好きなことをやっているのにどこか辛そうな女の訳
さまざまな角度から、自分のメンタルにメスを入れ、人生を深いところからリノベーションしはじめてるワタシの過去は
自分自身のあり方がどれだけ大事で、他の誰のものでもないってことがわかっておらず、いつも心のどこかで他者にそのあり方を委ねていました。
自分の好きなことですごくアクティブにしてるのに、それと裏腹にものすごい闇を抱え、ふとすると不安になるサイクルで生きていました。
このとてつもなく大きくなってしまった闇を、どうすれば辛くないものにできるのだろうか。素直に純粋に、それをどうにかしたいと思ってました。
こんなにアクティブにいろんなことができるようになった自分でも、心に闇を抱え続けて生きなければならない星の元に生まれたんだ。そんなふうに感じていました。
例えばお金持ちだったり、あらゆる社会的名声を得たにも関わらず不幸だと感じてる人も、こんな感覚でしょう。
私は私なりに不幸だったので、そんな状況を心底なんとかしたい!と、心が懇願してました。
それが、ある人との出会いがきっかけで、結果的にメンタルの荒治療を受けることになり、結果、不動の安定感を保つことができる今に至るのですが
当時、好きなことをやっていたのになぜか辛そうだったワタシ、それに対する答えが、先日、バイセクシャルの女装家セラピスト・クノタチホさんの言葉の中に出てきました。
好きなことをやってるのに
どこか辛そうな女性は
自分自身の安らぎを支えてくれるのは
自分の内なる男性性の
自分カレシだということを
認めるのが苦しい人
"自分の内なる男性性"や"自分カレシ"とは何か?
人は誰しも自分の内側に男性性と女性性を宿して居るという考え方を前提にした時にいう、自分の中にある男像のことです。
自分の内なる男と女にそれぞれ役割があって、その二人が円満に強力にタッグを組むことで、自分自身に満たされた感覚や無敵の安定感をもたらすと言うもので、簡単に言ってしまえば、自分大好き人間ということになるのですが...
当時はそんな概念があることさえ知りませんでした。
引用部分では、つまり、自分の【幸せのタネ】は自分の内側に在る・居るのに、それを見出すことをせず、外側の世界のどこかにあると信じて求めにいったり
盲信的にロックオンした外側の世界や人物に、振り回されるから辛くなるのだということを言っています。
そこが逆なんです。辛い時ほど、外側に向かわず、自分自身にロックオンしてみてください。
自分の内側に向き合い、自分が何を望んでいて、どうしたいのか、自身を探究することで外側が気にならなくなり、自分で自分を満たしていくということが、体でわかったとき
それまでなんというエネルギーの浪費をしていたのだろうと、気付く日がやってきます。
辛い時ほど、自分自身に愛を以ってロックオンすることは、外の世界や人物にロックオンするほどには疲れません。
なぜって、究極には人類にとっては、自己受容という、どんな自分自身でも愛することができるようになることが、この世に生まれた目的だから。
自分自身を見つめることに養分を注ぎ込んでる感があって、自分の本当の望みを探り当てることは、見えない間は苦しいですが、見つけようと心を決めると、必ず見えてくるんです。不思議と。
外側の実像を作り出す源は、自分の内側にあるんです。
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感情と思考を仲良くさせると、自分の本当の声の居場所がわかります。
自分の中の2つの声の正体は、ハート(感情)と頭脳(思考)。ハート(感情)は女性性でもあり、頭脳(思考)は男性性でもあります。
自分の内なる男女を仲良くさせ円満にすることが上手くなると、現実に見える世界も穏やかで豊かなものになるでしょう。
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